ベトナムの独立運動の一環で、日本に留学し民衆運動者を育成する活動のことを「東遊(ドンズー)運動」。
この東遊(ドンズー)運動を軸とした人々の心の触れあいを取り扱ったのがパートナーだったんですね~。
【ファン・ボイ・チャウ(ベトナム語:Phan Bội Châu、漢字:潘佩珠)】
ドラマでは日本に再来訪し石碑を作ったところで終了しました。
彼のその後は・・・
1925年:上海でフランスの官憲によって逮捕
ハノイ(河内)で終身刑を宣告
ベトナム国内の世論の反発を受けて恩赦
フエ(当時の阮朝の首都)で軟禁
1940年:軟禁状態のまま死去
ファン・ボイ・チャウについていくつか書籍が出ているようです。
【クォン・デ候(ベトナム語:Cường Để、漢字:彊柢)】
当時のベトナムの王朝=阮朝の始祖嘉隆帝(阮福暎)の英睿皇太子の直系4代目
革命家ファン・ボイ・チャウの抗仏組織ベトナム維新会の党首
1906年:ベトナム脱出→東京振武学校入学
(のち病気により退学)
1908年:早稲田大学入学
1909年:日仏友好条約締結により日本政府から退去勧告
以降、タイや欧州を渡り歩く
一度ベトナムに帰国
1915年:再来日
1940年:日本が北部仏印(ベトナム北部)に進駐
1945年:3月9日、日本軍がフランス軍をベトナムから撤退させる
7月、羽田空港からベトナムに向かう予定
戦況悪化により飛行できず
8月、日本敗戦
9月、ホーチミンによるベトナム政権樹立
1951年:4月6日、死去
クォン・デ候についてもいくつか書籍が出ています。
ベトナムは英雄の名前が通りの名前につけられているケースが多々あります。
ファン・ボイ・チャウもハノイやホーチミンで通りの名前になっているようです。
ハノイ市
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